2011年03月25日

安全≠安心

科学ってなんだろうと思った。

リスク評価について,
さわりのさわりを噛(かじ)っただけだけど,
一応,さわりを学んだ者として,
きちんと,そのリスクについて,
ごく一般の人に伝わっていないというのが,
もどかしい気がしてならない。

現状の安全策(20km圏からの退避,
20~30km圏の屋内退避,農作物の出荷停止措置等)や,
現在確認されている影響(水からの検出,
ごく微量の放射性物質の付着等の,
ある種,瞬間値的な,極めて小さな反応)について,
国民の多くは,冷静に落ち着いて受け取ろうとしながらも,
何か分からない不安感が蔓延しているというのは,
科学がどう,って話じゃないんだよな~。

科学立国,技術大国,世界最高水準の医療体制等々,
様々な科学をベースとした看板を掲げている我が国は,
こんなときこそ,冷静に数値を捉え,
リスク管理をし,問題がないものは問題がないと,
心して対応すべきだと,常々思ってきたんだけど,
改めて,人の心は,それだけでは,どうにもならない,
というのを,思い知りました。

不安を取り除くためには,
物理的対応と,心に届くメッセージが必要なんだろうと,
今,単純化してだけど,そう感じています。
物心両面の対策がないと,どうにもならないということを,
そういう現実を,目の前に,突きつけられていると思います。

我が国は,安全・安心の国づくりを目指してきたけど,
なぜ,「安全」と「安心」という,
よく似た言葉を,わざわざ別に用いているのか,
ということに,ようやく思いが至りました。

なぜ,別々に,使っているのか,
そこに大きな意味があるんだということに,
このやるせない命題を考えながら,ようやく気付きました。

俺は,すっかり,一つの言葉,一つのフレーズとして,
軽い気持ちで,「安全・安心」と使ってたよ。

思うに,「安全」と「安心」は,全く別の概念なんやね。

「安全」は,たとえば,今,水を飲んでも,
科学的,医学的にリスクを評価して,問題がない,
という純然たる事実を告げたもの。
一方,「安心」は,それを聞いて,不安がない状態,
なんだろうと,思います。

不安を取り除いて,初めて,
「安全」が「安心」につながるんだと思います。

じゃあ,どうすれば,というのは,
①分かりやすく,どう安全かを伝える,
②出来る限り,安全を見える形にする,
③心に届く言葉で訴える
 (信じるに値するという気持ちを持ってもらう)
くらいしか,浮かんでいませんが。

特に,③なんて,
どうすれば,という答えが,見つかりそうで見つからない。

当初,ちょくちょくあった首相の会見は,
本当に,残念ながら,全然言葉が届いてこなかった。
正直,いらんよ,と思ってしまったほどだった。
首相が会見を開く度に,相対的に,
その後に会見する官房長官のほうが,
頼りになるように見えてしまうという,
皮肉な結果につながってたし。

なぜ,あんなに,一国の首相たる者の言葉が,
胸に響いてこないのか,心の奥に届かないのか,
表面を上滑りしてしまうのか。
書こうかどうか迷った批判(批評)だけど,
そこに,答えにつながるヒントがあるのかもしれない。

科学は,哲学である,と思っている。
科学を追求することは,哲学を追求することに,
近いものだと思っている。
真実・真理を求める行為は,自分の信じるものを確かめる行為であり,
それは,哲学の探求であると思っている。
それだけに,科学者は,哲学者であるべきだし,
今,まさに,国民から,その器を確認されているんだろう。

どうにか,安全であるという事実を,
きちんと分かりやすく解釈した形で伝え,
安心出来る気持ちになるという段階に持ってほしい。

とにかく,情報をきちんと出すことと,
それを安心出来るレベルにまで噛み砕いて,
分かりやすく伝えるということが,
今段階では,一番大事なんだろうね。

全然,考えがまとまってないけど,とりあえず。


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